イライラしちゃう時
中高の恩師が「苦労は買ってでもしろ.という言葉は一理ある.もちろん苦労なしに人生を歩むのも良いが,自分は苦労をしてきた人間の方が魅力的に見える.」と言っていた.
当時,高校生の私は妙に納得した.
育った環境は恵まれていたと思う.苦労したことといえば,やりたいことが多すぎて身一つでは足りないほどハードスケジュールだったこと,他には人間関係とやりたくないことをやらなきゃいけなかったりしたことくらいだ.
今でも,苦労という言葉は難しいと思う.自分がやりたいことをやる中で必死になったり,山あり谷あり経験することは果たして苦労と読んで良いものか…それは幸せの一環かなと思ったりする.
ついでに最近難しいと思うのは,やはりコロナだ.
私は年齢から分けて言えば若者で,感染リスクとやりたいことを天秤にかけた時にやりたいことか勝つ世代だと思う.そこに実家や一人暮らしといった環境や,スケジュールの要素が追加されて,結果過敏に気をつける道を選んだり,気にせず今を楽しむ道を選んだり…人それぞれでいいと思う.
ちなみに,私の場合は
母が難病指定の肺炎でリスクが高いけど,
義家族の要望で,結婚式のスケジュールを急かされる.母はそれならそれでいいと言ってくれているが,私にとってはかなり脇を引き締めて取り組んでいる.
かたや毎日顔を合わせる職場の人たちは,毎日パチンコ打ったり,飲んだり,社内ノーマスクで過ごしたり…世代も上の方なのに何故か怖いもの無しといった状況.多分アホなんだと思う.
もちろん,人それぞれだと思うが,そういう大人が大人数と言える食事会を企画して,私が断ると常識がないやらなんやらいうものだから,たまったもんじゃない.
この話題はコロナ大流行当時から全く変わらず,今に至る.ここに関して人間関係面については,苦労と呼びたい.
良い大人なのにどうして…と思ったこともあったけど,きっと子供の時期の終わりが分からず,いつの間にか大人になってしまったタイプは,その後どれだけ歳を重ねても浅はかなのだなと落ち着いた.
いろいろ書いたけど,私も自分に置かれた状況が違ったら周り構わず旅行したり,外食したり,友人を誘って飲み歩いたりしていたかもしれない.
でも,今の生活も気に入っている.それだけ大事にしたいものがあり,望んだテンポとは違う道を選ばせてもらうことは自分を大きく成長させてくれるチャンスだ.
自分で選ぶ道以外の選択肢を与えてもらえるということは,幸せなことだと思う.
私は教育の中で,「物事を見極め,自分なりの意見を持て.もしそれが周りの人と違った場合,自分は特別な視点から物事を考えられる人間であると証明されるということだ.人と異なることも,仮に間違うことも恥ずべきことではなく喜ばしいことだ!」と言われて育ち,今まさにその言葉が生きているなと実感する.
メンタルが図太くなったのは,教育の中で自己肯定感を強く持てるようになったからでありがたいなと思う.